[セル]携帯ゾンビ(6)読了

さて、6回にわたって感想をお届けした携帯ゾンビ(仮題)ことスティーブン・キング「セル」
読了いたしました。
7章「ワーム」、8章「カシュワク」、最終章「システムに保存」は、個別にではなく纏めて感想いっちゃいます。



まず、読了してまず感じたのはキングを読んだ気がしなかった、ということ。
以前の感想でも折に触れ書いてますが、キングにしては描写が淡白。
私の知ってるキングは、主要人物はその人の吐く息の臭いすらわかるんじゃないか、というくらいに人物描写を描き込む作家だったのですが、ともかくアッサリと薄味です。
序盤こそ、まるで「28日後・・・」の世界に放り込まれたような主人公達の混乱と錯乱一歩手前の緊張で読ませますが、《携帯狂人》の変質とともにジェットコースターのような緊張から彼らが開放されると、あら不思議。
登場人物たちにこれっぽっちの感情移入をしていない自分に気付きます。

思うに、主要人物がみんな最初からイイヒトすぎたんじゃないかなぁ・・・
人間関係だけをとってみれば、旅の仲間(@指輪物語)も吃驚の近年稀に見る一枚岩パーティでした。
(それは途中参加の4人を加えた後も揺るがぬ磐石ぶり!)
ホント、信じられないほどイイヒトだけで構成されてます。
そのせいか、衝突による人間関係の化学変化がほとんど起こらなかったですよね、彼らは。
劇中における彼らのキャラクターや関係性に、なんの変化もなかったのが、人間ドラマの物足りなさにつながったんじゃないか、と私は思うんですが、どうでしょうか?

唯一、序盤にアリスの変化が描かれるんですが・・・
「嗚呼、この娘の強気方向への変化(その危うさは見た目にも明らか)が新たなトラブルを呼ばなきゃいいが」
などと思いつつ、実は「トラブル来い来い」と願っていたのですが、そういう事態もついぞ起こらぬままに・・・・・・合掌。
トムも序盤の飼猫レイフへのこだわりから、
「後半そのストレスが鬱積して馬鹿な事を?」とか
「ストレスにまけてジョーダンに手を出しちゃったり!?」(注:彼はゲイ)
とか不謹慎なことを考え(期待し)たりしたんですが・・・そんな事もなく最後まで善人の髭なままで。

肝心の主人公もそう。
息子への執着も、数箇所回想シーンがあるだけで、正直「父親でない」私には共感出来なかったし、別居中の妻への思い入れの無さとあいまって、とにかくステロタイプなよくある「妻と別居中で息子が心の支えのパパ像」以上でも以下でもないのだ。

逆に、《パルス》現象や《携帯狂人》の生態の変化などに読者の興味を誘導する作りになっているように感じたのだけど、これは私の錯覚かなぁ。
中盤以降、私の興味は
《携帯人》はこれからどうなっていくのか?
のみでした。
このあたりの読んでいての感触は、古典的なSFを読んでいるのに近いものがありましたね。
例えば、ウエルズの「宇宙戦争」とか。

しかし、《携帯人》への興味も、「必殺!大爆発で解決!」でおじゃんです。
最後の手段が大爆発で、しかも残りページ数からこれで解決しちゃうんだな、と察せられた時の私の心境を簡単に表すと・・・

・・・orz

まぁ・・・マレルの「トーテム」(早川文庫版)の大爆発〆に比べると無茶な締めじゃなかったんですけどね・・・
(『トーテム』は完全版である創元文庫版をオススメしておく)
しかし、もはや《携帯人》の変質(『おれラック!』)のその先にしか関心のなかった私にとって、パパと息子の再会など、どーでもいいのですよ。
だから、せめて最後に、「システムに保存」がジョーダンの間違った推測(“推測”という単語は“ケツ”と“おまえ”と“おれ”からできている)だったのか、それとも真実だったのか・・・せめて、それだけは教えてほしかった。
《携帯人》の未来という知的興奮を読者(つーか俺)から奪ったわけだから・・・

ま、単に私が、こういう《元鞘》なSFが嫌いなだけなんですけどね!

そう、《携帯人》や《パルス》の謎がメインと考えるなら、これは絶対SFなのだ。
劇中の人物がとうとうと《パルス》現象について推測(“推測”という単語は“ケツ”と“おまえ”と“おれ”からできている)を述べ合う様は、どう見てもオールドSFにおけるそれに他ならない。
つまり、「ギャオーと鳴くからギャオスだよ」であるのだ。
そして本作がマシスンに捧げられているのなら、最後は何か別の地平に辿り着くような・・・ぶっちゃけてしまえばポストヒューマン小説としてのオチを読みたかったのだ。
まぁ、勿論この感想は
「この作品は怪現象による人間の変質を楽しむべきSF小説である」
という、私の勝手な思い込みが前提ではあるのだけどね。

しかしまぁ、序盤はキング版「28日後・・・」でゾンビスキーにはたまらない展開だし、後半は後半で《携帯人》の生態と変質(だけ)で、結局なんだかんだ言いつつ最後まで読ませたのだから、さすがはキング、と言うべきかもしれません。
それでも、やっぱり物足りないし消化不良気味ですけどね~。

みなさんはどう思いましたか?

それにしても、キングのこの作風は「セル」だけのものなのか、それとも最近のキング作品はみなこうなのか、誰か教えて><
実は、「セル」を読み始めたばかりの頃は、
「次が『トム・ゴードンに恋した少女』にしようかな~」
なんて思っていたんですが・・・ちょっと、躊躇してしまうな。
キングには濃厚な、『コーンポタージュを煮詰めたように
ねっとりと』した描写(by亀母さん)を期待してしまうのは、私が古い読者だからでしょうか?

後は、イーライ・ロスがどう映画化するかなんだけど・・・いろんな意味でシナリオ化が難しいよね・・・コレ。
筋だけ追ったらそれだけで膨大な尺が必要だろうし、いっそ別物に大胆な脚色をした方がいい気がします。
個人的には《パルス》現象は原作のままで、別の場所の別のパーティの話が見てみたいな。
似たような設定の映画も先行して作られてるようですし、せめて流れないことを祈りましょう。

それより、ダラボンの「霧」の映画版が気になる私。
あのスーパーマーケット内の人々の描写。ああいうのを「セル」でも見たかったのです><
(最後まで愚痴で終わっちゃったなぁ・・・グーム!グーム!)

そうそう、最後に。
本屋視点で見ると、ひじょうに良い(=売れた)作品でした。
いや~売れた売れた。さすがはキング。
果たして、仮題であった「携帯ゾンビ」が正式タイトルでも同じように売れたのかどうか、気になりますね(笑)
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by rushiha666 | 2008-01-15 22:12 | 小説
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